「読書力」から学ぶ
「趣味は読書です」と言える基準とは?

活字中毒,読書

こんにちは
年間100冊本を読んで、週3日本屋に行きます。
kyouです。

今回は「趣味は読書です」と言える基準についてのお話です。

参考文献は「読書力 斎藤孝 著 岩波新書 2002」
Amazonのページはこちら。

「趣味は読書です」

これ、言った方は別段凄いことでも何でもないんです。

大抵活字が好きな人はほっといても本を読むので。

しかし、周囲の人は違う。

「読むことが速い」や「今まで多くの冊数を読んでいる」とかを連想してしまいますね。

かなり一般化されて「書類仕事は得意でしょ?」みたいなイメージもつきます。

具体的なメリットまで落とし込まないといけない場面も結構ありますよね。

就職活動や転職活動とか。

そういう時に基準について悩む。

バカらしいけれど、基準を知っていれば悩まなくて済みます。

身もふたもないですが、「金になって、自分も楽しい」基準は読書に置いては存在します。

今回紹介する基準は「文庫100冊 新書50冊」(読書力 斎藤孝 著 岩波新書p8より引用)

これは著者である斎藤孝さんが具体的な効果があり、企業にメリットをもたらす数字としてはじき出したものです。

夏目漱石などの歯ごたえのある小説=文庫、学術書の入り口の新書という定義ですね。

年間100冊以上本を読む、自分自身も実感しています。

この基準を守っていないと、実は読書の効用は仕事の能力に上手く転化されていかないんです。

私は新書の冊数は余裕でクリアしていましたが、文庫はそこまで読んでいませんでした。

ツケは前職で払う羽目になりました。

読書には明確にメリットがあります。

ただ、偏ってばかりでは墓穴を掘る可能性がある。

この基準を使ってしっかり能力に変えていきましょう。

文庫100冊という基準

小説を読まないと、「類推能力」が育ちません。

だから読書の基準に文庫が入っているんです。

「小説を通じて、代理経験を積む」

良質な小説を読む効能として、良く言われることですね。

こう言われても私は小説は読みたくなかったです。

他人の気持ちなんて推測できるかと思ってましたね。

ぶっちゃけ会話調だと面倒くさく感じる。

しかし、問題になっているのは「人の気持ちを理解する」という次元ではありません。

本当の小説の効能は「類比・類推能力の獲得」です。

人間同士のコミュニケーションは「察知」と「返答」という二つのフェーズがあります。

その両方の基盤が「類推能力」なわけです。

良い例として、「なれるSE」というライトノベルがあります。

ストーリーも登場人物もしっかり練られた良作。

分かりやすい会話調の文章も多い。

この小説の凄いところは「もし自分がこの立場だったら……」と読者に自然に想起させる点です。

別段自分がIT業界に携わっていなくても、共感できるポイントが多い。

「人の気持ち」から少し抽象度が上がっているわけです。

「立場は新人だから、知識はない。だから知恵とコミュニケーションで何とかする」という筋書きが作中で頻出します。

So What?(だからどうする?)という「類推」を読者は多く使うわけですね。

手元にある少ない情報を活用しながら、活路を開くのは類推能力がモノを言います。

ライトノベルはエンターテインメントが主軸なので、本書では基準からは除外されている。

しかし、私としては仕事がテーマの中心だったり、頭脳・心理戦がメインであれば文庫にカウントしてもいいと思ってます。

類推能力をフル稼働させなければこれらは読めないですから。

実は私は普段小説をほとんど読まないので、「類推」がかなり苦手。

これは結構仕事では致命傷で、仕事のコミュニケーションで齟齬が発生しやすい。

初手の段階で仕事の方向性を間違えるのは、本当に危ない。

読書は読む物によって、得られる効能が違う。

同じ系統の本ばかり読んでいると、思考パターンが偏ります。

これは仕事では無視できないほど大きい影響なので、バランスよく本を読みましょう。

新書50冊という基準

新書50冊読むと、おおよそ「論理」という物に抵抗が無くなります。

より深く言うと、学問分野ごとの「お作法」を大体網羅できるのがこの数字。

学問はそれぞれ決まりきったお作法があります。

論文の書き方、レポートの書き方、生産的な議論の仕方などなど。

これらを基盤にして、学問毎の前提条件が生まれる。

例えば経済学なら「人間は情報を全部知っているし、完全に打算で行動する」という前提があります。

一見するとそんなわけないだろと言えるような前提が置かれている。

怖いのはこの前提は無意識に頭にインストールされることです。

大学の学部を経験すると、無意識にその学問分野のお作法の影響を受ける。

「明確に勉強なんてしなかった」という方でも確実に雰囲気には影響されています。

「思考のクセや方向」みたいに漠然としたものではありますが。

このお作法が人間関係に大きく影響します。

職業毎のギルドのお作法にそのまま引き継がれることも多いでしょう。

考えやすいのは医師や弁護士などの士業。

サラリーマンの中心的な出身母体である、法学部や経済学部もそうです。

無意識に影響を受けた学問分野が、人間関係の線引きに使われるわけですね。

「この位は知っているだろう」

人間は無意識にこの前提を置いて、人を選別します。

ちなみにこの前提が共有されていない人と仕事をすることはかなり難しい。

既存の知識の差がありすぎて、コミュニケーションのコストが跳ね上がります。

例えば「数学の知識は詳しいが、論理の運び方を知らない」という場合ですね。

一回経験しましたが死ぬかと思いました。

自分の専門分野だけ、中途半端に知識がある人はこういった事態になります。

本気で考え切ったらおそらくそうはなりません。

「学問はどんな分野でもこのお作法があるよ」ということを知らない場合ですね。

少なくとも一回新書を読めば知ることが出来ることに頭を使う必要性は薄いので、まずは知ることです。

一回新書で他の学問分野に触れておくと、他人を理解しやすくなる。

新書を50冊読むと、大体の前提を一通り網羅できます。

大学の教養学部みたいな働きをするわけです。

他人の思考パターンを理解するために新書は読んでおきましょう。

本日のまとめ

本を読むために具体的なメリットが出る基準を持ちましょう。

それは「文庫100冊 新書50冊」です。

文庫を読まないと類推能力でハンデを負います。

新書を読まないと、ロジックや学問毎の前提条件が分かりません。

両方をバランスよく読まないと、人間関係で失敗しやすくなります。

本は満遍なく、読むのがおススメです。

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ABOUTこの記事をかいた人

活字中毒歴16年目、年間100冊の読書と週3回の本屋通いが趣味 「行動するための読書」を テーマに書評を書いていきたいと思います。 メーカーの財務部を退職後 ADHD向けの就労支援施設にて訓練中