自分の「小さな箱」から脱出する方法
自己中の治し方

こんにちは
中学時代に「自己中の鏡」という不名誉な称号を頂きました。

kyouです。

詳しいプロフィールはこちら。

いや、悪気は一切なかったんですけどね。

今回は人間関係を改善する本の紹介です。

「自分の小さな箱から脱出する方法 アービンビンジャーインスティチュート 著」になります。

Amazonのページはこちら。

私は昔から、どうしたら他人のことが考えられるのか分かりませんでした。

生まれつきの特性もありはしましたが、何よりも思考停止に陥ってしまうのです。

考え方が分からないのが、何よりも辛かった。

自然な形で相手の感情を尊重する振る舞いがどうしてもできませんでした。

この状況を解決してくれたのが、この本です。

特に「相手に逆らわない」という手法と、その根拠である「可謬性」には本当に助けられました。

「自分が間違っているかもしれない」という考え方を念頭に置くと、相手の考え方を認められるようになったのです。

この考え方を全ての人間関係のベースと出来るように、何とかやっていきます。

根本原因は「少しのボタンを掛け違えたトラウマ」です。

ボタンの掛け違いの拡大再生産

他人のことを考えなくなったのは、ボタンの掛け違いによるトラウマの拡大再生産が原因です。

ほんの些細な会話の食い違いが、1日を台無しにする。

その影響は留まるところを知らずに波及します。

そしていつの間にか「空気読めない」の評価が定着する。

「私だって考えられるものなら、考えたい。で、どうすれば良いの?」

偽らざる感想です。

小中高と本当に解ける気配のない謎でしたね。

私には方法論の知識がありませんでした。

このころから本屋に良く通うようになりましたが、見つかりません。

他人のことを考えることは、この社会では高いレベルが求められます。

しかもほとんどの人間がこの能力を持っている。

皆が当たり前に出来ていることは明文化されません。

箱に入ってしまう

そんな中、この本を読んでようやく納得できる解が得られました。

自分の考え方の全ての原因は箱に入ってしまうことです。

「箱に入る」とは自分を正当化する視点にとらわれていることを指します。

この本の中では、自分がした他人のためにした方が良いと思うことをしなかったときに、人間は箱に入ると説明されています。

このプロセスを知った時に、私は膝を打ちました。

自分が何故泥沼にはまっていたのか理解できたからです。

私は少しでも会話の論旨がつかめなくなると、「何故?」とよく質問していました。

相手のペースなど一切考えていません。

そこで食い違いが発生して、結果としてお互いが箱に入ってしまう。

中学生ですからお互い我慢の力など持っていません。

しかし、相手は学ぶことが出来たのに対して、私には何も教訓が残りませんでした。

私の人生の大半はこの状態だったと言えます。

これは次に説明する、「相手が箱に入る口実を与える」という考え方につながります。

相手に箱に入る口実を与える

自分が箱に入ると、自分を正当化する視点でしかものを捉えることが出来ません。

必然的に相手を非難する態度となります。

こうして非難することは相手に箱に入ってくれと言っているようなものです。

相手が箱に入ってくれなければ、自分が間違っていることになるわけですから。

私は大学時代のゼミ活動でこれにハマりました。

チームメンバー3人で発表を作り上げることが目的です。

しかし、発表準備の段階でお互い箱に入る事態になりました。

結果として、発表自体は出来たものの、質は低いまま。

ゼミの担当教授に相談に行きました。

「協力の仕方が分かりません!!」

自暴自棄でこう言ったのを覚えています。

それに対しての返答は「自分の勉強の内容を見やすく人に伝える。それと同じくらい相手の勉強内容を頭に入れる。

お前の頭に今チームメンバーの勉強してきた内容はどれだけ入っているのか」というもっともな返答でした。

自分の伝えたいことを伝え、相手の話を全力で理解しようとする。

そんな基本的なことさえ、箱に入ると忘れてしまいます。

個人的には箱に入ることは中毒のようなものだと思っています。

自己陶酔が過ぎると、自分だけが酔って周囲は壊れる。

この1件があった年はありとあらゆる面で「箱に入ること」の弊害を受けた年でした。

まさにボタンの掛け違いが恐ろしい程拡大再生産された結果です。

相手に逆らうことを止める

この事態に対する打開策は「相手に逆らうことを止めること」。

そのためには自分が間違っているかもしれないという前提を持つ必要があります。

実はこの本を読むタイミングで、全く別の人も同じことを主張していることを知りました。

そこで腑に落ちました。

「私が間違っているという仮定で思考したのだろうか?」

この問いを知って、全ての機序が明確になりました。

本来この問いは相手との議論では必ず為すべきことです。

頭脳活動に重きを置いている人間なら、当然考えるべき事項。

それを完全に見落としていたわけです。

とんでもないダブルスタンダード。

これに気付いた日から、相手の意見を全力で理解しようと努めるようになりました。

思考が人間関係の問題に終止符を打ちました。

後は実行するだけです。

本日のまとめ



自己中になってしまう原因は、会話でのボタンの掛け違いが拡大再生産されることです。

こうして、人間は「箱に入って」しまう。

自分を正当化する目線でしかものを見られなくなり、お互いが箱に入る口実を生み出します。

これに対処するには「相手に逆らうことを止める」ことが重要。

基盤となるのは、自分が間違っているかもしれないという可能性を忘れないことです。

この課題を検討した瞬間に人間は箱から出ることが出来ます。

私もまだまだ箱の中に入ることが多いですが、少しづつ治しています。

今なら多少は「自己中の鏡」の汚名も返上できそうです。

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ABOUTこの記事をかいた人

活字中毒歴16年目、年間100冊の読書と週3回の本屋通いが趣味 「行動するための読書」を テーマに書評を書いていきたいと思います。 メーカーの財務部を退職後 ADHD向けの就労支援施設にて訓練中